株式会社ビーイングの創業者で現・相談役の長戸大幸さん。
一代でビーイングを巨大企業に成長させた実業家としての側面だけでなく、B’sや倉木麻衣さん、愛内里菜さんなどを手掛けた日本を代表する音楽プロデューサーでもあります。
そんな、すごい経歴の持ち主ですが、ほとんどメディアの前に出ることはなく謎が多い人物でもあります。
そこで今回は、経歴、嫁や子供のこと、芦屋にある大豪邸の自宅など、長戸大幸さんについての情報をなどお伝えします。
愛内里菜の元プロデューサー・長戸大幸の経歴 嫁や子供 自宅情報
長戸大幸さんは自身が設立したビーイングやそのグループ会社で、これまでに数々のアーティストを世に送り出してきました。
B’z、倉木麻衣さん、愛内里奈さん以外にも
ZARD、大黒摩季さん、三原順子さん、小松未歩さん、BOOWY、TUBE、DEEN、WANDS
など、多くの有名なアーティストがいます。
これら、多くのアーティストをプロデュースしてきた長戸大幸さんとは、どのような人物なのか次から見ていきましょう。
長戸大幸の経歴
長戸大幸さんは、
- 1948年4月6日生まれ
- 滋賀県大津氏出身
- 膳所高等学校卒業
- 青山学院大学中退
高校在学中に洋楽に興味を持った長戸さんは、ポール岡田さんや森下彰夫さんとともに「WEEDS」を結成し、京都や大阪を中心に音楽活動を始めました。
大学中退後に、京都で5人組のロックバンド「Feed Back」を結成、ラジオDJを風刺した作風で、長戸さんはヴォーカル、ギター、作詞、作曲を担当しました。

「Feed Back」は1972年に「赤と黒」に改名し、テイチクエンタテインメントのBLACKレーベルからシングル「Mr.D.J.」を出しますがあまり売れず、バンドは解散していまいます。
バンド解散後、長戸さんは、副業として京都の「BAL」でブティックの経営を始めます。
1975年、再び上京した長門さんは、音楽事務所「オフィス・トゥー・ワン」に入社し、翌年、シーチャン・ブラザーズの「愛の翼」で作曲家デビューします。
自身も、歌手として活動し、フォーライフレコードの「第一回新人オーディション」に応募、川村ゆうこさん、原田真司さんらと共に最後の4人にまで残りました。
1977年8月まで新人ツアー「FORLIFE Fresh Forward FESTIVAL」に出演し、ソロデビューも決まっていましたが、自身がステージに立つより裏方の仕事の方がやりがいを感じるようになった長戸さんは、1978年に織田哲郎さんらと音楽制作会社「ビーイング」を設立を設立します。
設立当初はマンションの一室を借りて始まったビーイングですが、現在は約60社ものグループ企業を抱えるほどに急成長しました。
2005年には故郷のラジオ局、エフエム滋賀の取締役に就任。
2007年にビーイング代表取締役を退任したあと、大阪市に「堂島リバーフォーラム」を作りオーナーとして運営したり、テレビやラジオ番組のプロデューサーとしても活動されています。
また、現在もアーティストのプロデュースを積極的に行っており、2017年に結成したバンド「dps」には特に力を入れている様子です。dpsは1stシングル「タイムライン」が「名探偵コナン」の主題歌に起用され話題にもなりました。
インタビューから見える長戸大幸
2016年に大黒摩季さんが復帰するにあたって受けたインタビューで、デビュー前に長戸大幸さんと出会ったときの第一印象について次のように話しています。
長戸プロデューサーが熱く語っているとき、目の中にある”意思”がすごく強くて。私、性質がネコ型なので、気まぐれに生きている。本能というか、「この人に付いてったらヤバいぞ」とか、「この人に付いてったら面白いぞ」とか、そういうのをほとんど熱と勘で決めてて、わりとそれが正解なので信じてるんですけど。そのときの長戸プロテューサーの目の奥が、燃えていたんですよ。強かった。
https://tokyo.whatsin.jp/58597
大黒さんは、19歳のときに歌手を夢見て片っ端からレコード会社にデモテープを送っていたそうです。その流れで沢山の人と面談したようですが、長戸さんに他の人とは違ったものを感じたのでしょうね。
また、長年ともに仕事をしてきた音楽プロデューサーの中嶌正雄さんは、長門さんのこと次のように話しています。
ビーイングには、そういう大胆な発想を形にするだけの実行力があったんです。ビーイングは、音楽プロデューサーの元祖みたいな人物である長戸大幸さんが理想を抱いて始めた会社で、みんなで「これを今すぐ、こうやろう!」と考えたときに、彼はすぐにスタッフとかアレンジャーとか、スタジオのエンジニアとかも含めて実行部隊を用意できたんです。
もし長戸さんがいなければ、数々のアイデアも机上の空論で終わっていたはず。
長戸さんはビーイングの唯一の営業マンだったのですが、打ち合わせで「長戸さん、こういう感じの曲がちょうど欲しかったんだよね」とか、「ここがちょっと穴あいちゃって、こういう曲ないかな?」というのに対して、「ちょうどいいのありますよ!」と言って、ただで受注してしまう人だったんです。
それで僕に対して「中島、明日の昼までにこういうの作んなきゃいけないんだよ」って。本当はないのに「ある」というから、嘘にならないように必死で人をかき集めてなんとか注文通りに作り上げるわけです(笑)。つまり、僕は長戸さんの実行部隊の一人だったわけですね。
https://lp.p.pia.jp/shared/cnt-s/cnt-s-11-02_2_5c448a24-f3a5-49a8-a69c-7c14e2404459.html
長門さんの強引とも思える行動力と実行力が、今のビーイングを作り上げたんですね。
長戸大幸の嫁と子供
長戸大幸さんには千晶(旧姓:増井)さんというお嫁さんがいます。

千晶さんは2007年にビーインググループ参加のGIZA studioから「蒼井椿」という名前でシングル『未来を』でデビューします。その後、2008年に4人組のバンド「PINC INC」でヴォーカルとして再デビューし、シングル4枚、アルバム1枚をリリースしますが、およそ1年で活動終了してしまいます。
長戸さんとはおそらくこの期間に出会ったのでしょうね。
現在は、大阪市西区でヨガやエステなどを行う女性専用の複合サロン「BEAUTY STUDIO CHIAKISS(チアキス)」を経営しています。チアキスは利用者の満足度も高く、会員数もどんどん増えています。
2021年には、youtubeに自身のチャンネル「vivichannel」と開設しました。まだ、投稿数は少ないですが、WANDSの上原大史さんとコラボで「世界中の誰よりきっと」を披露しています。
千晶さんは1987年生まれで、1948年生まれの長戸さんとはなんと39歳差。
そんな2人の間には女の子が2人と男の子が1人生まれています。

長戸さんと千晶さんが親子ほど年が離れているので、お子さんとは孫と言っても差し障りないくらいですね。
長戸大幸の自宅
大手音楽会社の創業者である長戸大幸さんの自宅ですがやはりとてつもなかったです。
長戸さんの自宅は高級住宅地として知られる兵庫県の芦屋にあります。
千晶さんが以前に雑誌のインタビューで自宅について話した内容によると、
1500坪という広大な敷地に7年かけて建てたという豪邸とゲストハウスがあるそうです。
そこには、窓や天井を開閉することで屋外にも屋内にもなるプールやシミューレーションゴルフの機材やジム機器がある部屋や、ジャグジーやサウナも備え付けられているそうです。
ゲストハウスにも、ビリヤードやゲーム機、ダーツなどゲストを楽しませるものが多数備わっているとか。
庶民からとても想像もつかない夢のようなところのようですね。
詳しい場所や外観に関しては分かっていませんが、室内の様子は千晶さんのインスタから少しばかり分かります。

高級ホテルの展望フロアかと思うこれが、ゲストハウスの2階から見える景色だそうです。
愛内里奈の元・プロデューサー・長戸大幸の経歴、嫁と子供・自宅 まとめ
30歳でビーイングを設立し、一代で日本を代表する音楽会社まで成長させた長戸大幸さんは、やはり成功者としての人生を歩んでいましたね。
社会的な地位に若いお嫁さんと子供たち、大豪邸と男の夢をすべて叶えた人と言えますね。